事業所紹介 共立高等看護学院 | 山梨民医連

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2022年8月16日事業所紹介 共立高等看護学院

 

県内で最も歴史ある看護師養成所

~揺るぎない「患者の立場にたつ看護実践者の育成」~ 

 

共立高等看護学院は1975年に開設された、県内で最も歴史のある看護師養成所です。2022年4月には44期生の入学を受け入れ、これまでに1452人(2022年3月現在)の卒業生を送り出しています。

 

共立高等看護学院の前身は1967年4月に開設された山梨勤医協准看護学院(全日2年制)です。校舎は巨摩共立病院の空き地(現在の巨摩歯科診療所の辺り)に建設されました。当時は全寮制でした。現在、入学式や卒業式等で大切に歌い継いでいる学院歌「青春は雑草のように」は、当時の第2期生・3期生の音楽クラブの活動の中で学生が作詞作曲した歌です。

 

1975年4月に現在の共立高等看護学院が開設されました。准看護課程の卒業生が働きながら看護師資格を取得するための2年課程の進学コースが創設されました。甲府共立病院に隣接する宝ビル(現在の甲府共立病院南館の場所)が仮校舎でした。

 

1977年3月に現在の飯田3丁目に新校舎を建設し、1979年4月から3年課程のレギュラーコースを開始しました。1期生25人でスタートしましたが、当時の山梨のレギュラーコースの養成所は県立と国立の2校のみで、本校は県内の看護師養成の先進的役割を果たしていました。やがて定員30人、40人と増員し、県内外の病院に多くの看護師を送り出しています。

 

「父母の会」がある看護学校

 

共立高等看護学院の危機は、1983年の山梨勤医協の倒産です。第5期生の入学式で、倒産している学校であることを告げられ、当時の入学生たちは「大きな衝撃を受けた」といいます。当時、病院が混乱する中で、看護を継承する看護学校や看護学生を守るために、当時の教職員がどれだけ奮闘したかを想像すると、本当に頭の下がる思いです。

 

また、学生の御家族で組織する「父母の会」は、倒産の中で、学校の存続を求めて結成されました。看護養成所の中に「父母の会」があることは大変珍しいですが、現在も学校・学生への多大な支援をいただいています。

 

現在、県内の看護師養成所は4校となりました。若者の大学志向、少子化の波が養成所にも押し寄せていますが、共立高等看護学院の教育は「患者の立場にたつ看護実践者の育成」という揺るぎないものとなっています。

 

山梨民医連の医療実践を体験

 

本校は、学生個々の成長だけでなく集団としての成長も支援しています。仲間と一緒に困難を打開する経験は臨床のチーム医療推進につながると確信します。授業や試験対策、国家試験学習など様々な機会でグループワークを取り入れています。こうした本校の教育実践は、12年連続国家試験全員合格という快挙を成し遂げています。

 

本校の学生は、看護の対象者を「生活者」としてとらえ、疾病や障害をSDH(健康の社会的決定要因)の視点から総合的に理解し、平和を願い高い倫理観を備えること等、民医連の看護学校ならではのカリキュラムで看護を学びます。フィールドワークや当事者授業など学生が自らの感覚や身体を通して体験しながら学ぶ機会も豊富にあります。

 

臨地実習で学生は、山梨民医連の様々な事業所で実践している医療・看護に触れ、「患者さんの立場に立つ看護」の実際を体験します。3年次の最後の実習では、患者さんと同じ立ち位置に立ち、患者さんが見ているものを見て、患者さんが体験していることを共有し、患者さんと共に要求を実現することを目指し、多職種協働チームの一員として看護実践する力を培います。民医連のフィールドでしか学べない一つ一つの貴重な看護実践です。

 

現在、コロナ禍で実習が出来ない看護学校がたくさんある中、設置母体に臨地実習の事業所がある本校では、実習の日数や参加人数は減じても中止になることは、ほぼありませんでした。臨地の理解と協力で学生の実習の学びが保障されています。これからも学生と共に学び続け、学生の学ぶ権利を保障するために、教職員一同奮闘してまいります。

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